能代だこの話 

               

 わたしたちの能代には、「能代だこ」という全国でも有名なたこが

あります。

 能代だこが今のような形になったのは、百年ほど前のことと言われ

ていますが、古くは今から一千百年ほど前、坂上田村麻呂(さかのうえの

たむらまろ)という将軍が、たくさんの軍船(ぐんせん)を引き連れて蝦夷

征伐(えぞせいばつ)にやって来たとき、空高くあがったたこを目じるし

にして、能代の港に着いたという伝説があります。また、三百五十年

ほど前には、たこあげが大流行して、大人も子供もむちゅうになって

わざを競ったという記録も残っています。

 昔から、能代は港町としてさかえていました。今から二百年ほど前

には、たくさんの品物をつんだ北前船(きたまえぶねが、はるばる日本

海をわたって、能代の港にもさかんにやって来るようになりました。

北前船には二本の帆柱(ほばしら)がありましたが、能代だこの多くも

中央に二本の縦骨(たてぼね)が入っています。それで、このような形

のたこは、「帆だこ」とよばれています。昔の人々は、大空に力強く

あがる能代だこの姿に、帆にいっぱい風を受けて進む北前船を重ね

合わせて見ていたのかも知れません。

 能代だこは、ほかの地方のたこと比べると、人物の顔が大きくえが

かれていて、高い空にあがっても、何の絵がらか一目で分かるのが

特ちょうです。

 能代だこの絵がらは、 義経(よしつね)のような勇ましい武者、昔の

お芝居(しばい)や講談(こうだん)に登場する豪傑(ごうけつ)たち、恵比寿様

(えびすさま)や大黒様(だいこくさま)のような、おめでたい神様、そ

れに、達磨(だるま)金太郎など、全部で二十種類以上ありますが、

その中でも一番有名なのは「ベラボーだこ」 です。

 ベラボーだこは、「アッカンベー」をするように舌を出していま

す。舌を出したたこ絵は日本各地にありますが、このベラボーだこの

ように、男と女の絵がらがあるものは全国でも大変にめずらしいもの

です。「男ベラボー」は、目のまわりに歌舞伎(かぶき)のくまどりみ

たいな色がぬられ、頭には芭蕉(ばしょう バナナの仲間の植物)の葉っぱ

のがらがついた頭巾(ずきん)をかぶっています。また、「女ベラボー」

は、牡丹(ぼたん)の花のがらがついた頭巾(ずきん)をかぶってい

ます。

 舌を出した顔には、魔(ま)よけの意味があると言われています。日

本だけでなく、インドネシアなど、南太平洋の島々のお面にも舌を出

したものがたくさんあります。インドの神話に登場するカーリーとい

う鬼(おに)のようにこわい女神が、それらの舌をだした絵やお面の大

もとではないかという学者もいます。今でははっきりしたことは分か

りませんが、「ベラボーだこ」の舌も、わざわいを追いはらおうとい

う昔の人々のねがいの表れかも知れません。

 もともと「ベラボー」とは、「ばか」、「あほう」、「なまけも

の」などという意味の悪口です。そんな「ベラボー」に、魔よけの役

目を果たしてもらうというのも、おもしろいですね。

 おもしろいと言えば、こんな言い伝えも残っています。

 

   昔、ある船主のだんな様が、船乗りたちを家にまねいて、

  えん会を開いた。その時、一人の船乗りが、自分のおなかに

  舌を出しておどけた顔をかいて、はらおどりをした。それを

  見た船頭は、「このベラボーめ。だんな様の前で舌を出すと

  は、なんと無礼なやつだ。」と、その船乗りをしかりつけた。

  しかし、船主はおこらないどころか、むしろ「おもしろい。」

  と喜んで、その絵でたこを作らせた。だから、ベラボーだこ

  の顔の部分は、はらおどりの絵をかいたおなかで、その上の

  頭巾の部分は、体にまきつけた船の旗なのである。

 

この話が本当かどうか、今となっては確かめることさえできません。

ただ、「ベラボーだこ」が、北前船の船乗りたちと何か関係があると

すれば、芭蕉や牡丹の花のように、秋田のような北国ではふつう見ら

れない植物がえがかれているなぞをとくための、手がかりとはなりそ

うです。

 

 能代だこには、まだまだたくさんのなぞがありますが、それらを調

べたり、自分でも作ってあげたりすることにより、能代だこを今に伝

える昔の人々の心にふれることができるでしょう。

 しかし、能代だこを作る人はどんどん少なくなり、今では、本職

(ほんしょく)の職人さんは、日吉町の北村長三郎さん一人になってしま

いました。そこで、能代が全国に誇(ほこ)る、ふるさとの伝統を守る

ために、「能代だこ保存会」の人たちが活動を続けています。保存会

の人たちは、能代だこを作る技術を学び合うとともに、毎年四月の末

に、たこあげ大会を開いています。そこでは、何と畳(たたみ)三十二

(じょう)分の大だこがあげられたこともあるそうです。

 

 私たちも将来、子供たちや孫たちに、能代だこのすばらしさを語り

伝えて行きましょう。それは、能代に生まれ育ったわたしたちが果た

すべき大切な役目なのです。

 

 

 

 以上は、

「博物館ニュース 第一〇三号」(秋田県立博物館、一九九六年二月発行)、

「広報のしろ」(平成六年一月発行)

「能代凧と北前船」(能代青年会議所 一九八六年)、

それに、能代市日吉町「北萬」の北村長三郎さん、

秋田県立博物館民俗部門学芸主事の高橋正さん、

能代市鳥形の森田永治さん(能代凧保存会)にうかがったお話を参考に、

小学生向きにまとめたものです。

 

 1996年9月  

       能代市立竹生小学校教諭  嶋 田 保 輔

       (1999年2月現在、八森町立八森小学校に勤務)